CONVERSATION:帰途 / KITO by Masako Tomiya(Photographer)x Kenji Takazawa(Photography Critic)

KITO

対談 富谷昌子 × タカザワケンジ
私たちはどこへ帰るのか?命の連関のその先へ、富谷昌子『帰途』をめぐる対話
Text:Kenji Takazawa(Photography Critic)
Photo:twelvebooks
構成・文:タカザワケンジ(写真評論家)
写真:twelvebooks

富谷昌子にとって2冊目の写真集となる『帰途』がフランスのChose Commune(ショーズ・コミューン)から発売された。以下に紹介するのは会期中の8月4日(金)の晩にPOSTで開かれたトークイベントの抄録である。私がゲストとして招かれたのは富谷昌子の第一写真集『津軽』(HAKKODA、2014年)に編集として関わり、解説を寄稿したからだと思う。『津軽』は富谷の故郷、津軽とその周辺を10年近くかけて撮影した写真集である。モノクロ、正方形フォーマットの端正な写真はクラシックな風貌をまといながら、誰の心にもある原風景を浮かび上がらせていた。では、2冊目の『帰途』はどのような写真集になったのだろうか。





タカザワケンジ(以下“KT”)写真集をつくることが決まってから、パリと東京でどんなやりとりがあったんでしょう。

富谷昌子(以下“MT”)ネットを使って写真のやりとりをしました。たとえば、私が写真を10枚送って、そのうちの8枚を「これがいいんじゃないかな」と選んで返ってくる。「そうきたか」と思って、その次は15枚送る、という感じで写真を往復させました。写真の内容について言葉で説明することは殆どせずに、ひたすら写真を送り合うことを繰り返しました。

KT 写真だけですか。面白いですね。ということは、相手は富谷さんの撮影意図やなぜ選んだかを想像しながら写真を見るわけですね。そして、彼らの価値観で選ぶ。一方、富谷さんもなぜ彼らがこの写真を選んで、こちらは選ばなかったかを考えることになる。写真を挟んでお互いの狙いを想像するわけですね。

MT 彼らはとてもカンが良く、いつも的確な削り方をしてくれたんです。おかげで私もどんどんシャキッとしてきて、撮る量も絞れてきました。だいたい、意識がぼんやりしているときのほうが撮る枚数は多いんです。彼らと写真をやりとりするようになって、撮る量も減ったし、削られる写真も減っていくといういいペースができてきました。撮影期間は約2年で、その間に15、6回青森に帰って撮りました。

KT 『帰途』はとてもドラマチックな構成になっていると思います。リズムがあって、時間経過が感じられ、クライマックスへ向けて盛り上がっていく。

MT だとすればそれは彼らがそう構成してくれたんだと思います。私としてはどう構成されてもいいように、最初に送る写真を選んでいたので。ただ、単調な構成はこの作品に合わないなという話しは最初の頃にしていましたね。それは表紙にも現れていて、よくある写真集にはならないだろうという認識は共通していましたし、まえがきが真ん中に入ったり工夫してあるのもそうです。彼らなりに写真の内容を咀嚼したうえで、自分たちのやり方で新しいものをやろうとしてくれたと思います。




KT 表紙が絵というのもユニークだけど、それは彼らの提案?

MT そうです。彼らとはもともと友人として気が合うというか、表紙が写真とか文字だけというのはなんか違うな、と思っていた矢先に「写真集の表紙、絵はどうだろう?」と。すぐに「いいね」といいました。画家はこういう人がいると教えてもらいました。ロサンゼルスに住んでいる私と同世代の女性の画家さん(Satsuki Shibuya)です。





KT 『帰途』は『津軽』が出たあとに撮影が始まったそうですが、きっかけは?

MT 私の姉と義理の妹がほぼ同時に妊娠して、それってあまりないことかもしれないと思ったので、まずそこから撮り始めたんです。というのは、『津軽』のときに人物をちゃんと撮れなかったので、人物を撮りたいなと思っていたんです。そうしたら身近な人たちの変化、というか大きな出来事があったから、ここから撮ってみようと。ささいといえば、ささいなきっかけです。



KT そこから連想するように周辺を撮っていったということですか。

MT そうですね。周りというか、彼女たちをふんわり包むものたちを撮っていったら、結局、自分のことに戻ってきたというか。それで自分が写っている写真が入っているんです。私は写真を撮られるのがとても嫌いだったんですけれど、これを写真集にするなら撮らないわけにいかないなと思い始めて。自分を撮ったらパリンって殻が割れたというか、広い海で泳いでいられるような感覚になりました。それもあって撮ることにも拍車がかかっていったのですが、その間、何を伝えたかったんだっけ?何がしたいんだっけ?としつこく自問自答したと思います。もともと誰かに会って写真の話しをするほうではないし、誰に写真を見てもらうというわけでもなかったので、自分一人で掘って掘って、磨いて磨いて、ということをバカみたいにやりました。

KT 『帰途』の富谷さんが写っている写真はいわゆるセルフポートレートとは違いますね。このテーマで撮っていったら自分を撮らないわけにいかないなといま聞いて、なるほどと思ったけれど、物語のなかの登場人物の一人として登場する。

MT 私のことを知らない人は、この写真に写っているのがこの写真集の作者だとはわからないと思います。写真には母をはじめ身近な家族が写っていますが、それも読者にはわからないし、誰が主人公かもはっきりしない。まえがきの「わたし」も誰なのか。誰がわたしであっても成立するように写真はつくってあるんです。実をいうと、写っているみんなのことはもちろん、被写体はぜんぶ自分だと思って撮っていました。すべてがわたしである。たとえば、写真集を見てくれているあなたでもある。どんどん境目が無くなっていく、そういう世界を、ただ撮って写真にしたような気がします。



KT 予備知識なしに見れば、『帰途』は女性が何人か出てくる。お腹の大きい若い女性とその母の世代。日本の地方に住んでいて、身近に自然がある。子供が現れる。きっと彼女たちの子供なんだろうなと思う。つまりこの写真集にはある一定の時間が流れていて、血縁関係もありそうだ。そのなかに隠れキャラとして写真家がいるわけで、そのことに読者が気づかなくてもかまわない。
でも、人物の一人、それも最後の象徴的な写真に写っているのが写真家だとわかると、この作品の意図がより深くなりますね。いつもはカメラの後ろ側にして事態の推移を見守っている写真家がカメラの前に立っている。あえていつものポジションを変えてみようとしたのではないか、と考えますよね。一方的に見つめる立場に疑問を持ち、世界と自分との関係を問い直すために自分もカメラの前に立つ。そうしないと表現できない何かがある作品なのではないか。カメラの後ろ側にいるだけの、見えない存在、レポーターとしての写真家は20世紀にその存在が社会から公に認められたけれど、現在ではそのあり方への疑問が持たれている。カメラの後ろ側にいるあなたは誰ですか?と問われるのが現代だと思う。







MT そうそう。まさにそうです。長いこと写真をやってきて思うのは、誰が撮っているのかわからなくなる状況ってよくあるんです。これ、いま誰が何を撮っているんだろうって。景色と自分が溶けてしまって、風景そのものになっていて、時間も無い。そんな経験を写真を撮っていて何度も何度もしているんです。けっこう誰でもそうだと思いますけど。

KT 誰でもじゃないでしょう(笑)。忘我の境地ですよね。でも、たしかに、それはカメラを使うことで入れる境地かもしれない。人はカメラを使って現実を見たままに写そうとするけれど、写真には意識している以外のものも写るし、コントロールできない偶然が写り込む。写真を撮っている「わたし」もしょせんは世界の一部でしかない。
『帰途』というタイトルも意味深長ですよね。帰る道という意味だけど、ゴーギャンの「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」に照らせば、帰る道ってどこへ向かう道なんだろうと思う。生まれてきた場所はどこなんだ、というね。また、生まれた人が次の人を産んでいくということはどこへ向かっているのか?哲学的なテーマですよ。





MT 特にこういうことを突き詰めてやっていると、行き着きやすいことなんだと思います。国も時代も関係なくて、人間らしいといえば人間らしくて。『帰途』は帰り道でもあるけど行く道かもしれないんですよね。さっきいった人類の行方もそうですし、人生も産まれてから死ぬまでと考えると、生きているだけでもう帰り道を歩いている途中だという考え方もある。「行く」なのか「帰る」なのか。でも、もともと道はただの道で、行きも帰りもないんですよね。私たちはただ道の上にいるだけです。







帰途 / KITO
作家|富谷昌子(Masako Tomiya)
仕様|ハードカバー
ページ|80ページ
サイズ|220 x 270 mm
出版社|CHOSE COMMUNE
発行部数|1,000部限定発行
発行年|2017年

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富谷昌子(Masako Tomiya) 
1981年青森県生まれ。大阪藝術大学写真学科、東京綜合写真専門学校研究科を卒業。2013年の冬に、自主レーベルHAKKODAから1冊目の写真集『津軽』、2017年の夏に、パリの出版社ChoseCommuneから2冊目の『帰途』を出版。

タカザワケンジ(Kenji Takazawa)
1968年前橋市生まれ。早稲田大学第一文学部卒。写真評論、写真家インタビューを雑誌に寄稿。写真集の編集、写真についての展示など、写真のアウトプットに対する実践も行っている。解説を寄稿した写真集に渡辺兼人『既視の街』(東京綜合写真専門学校出版局ほか)、富谷昌子写真集『津軽』(HAKKODA)ほか。著書に『挑発する写真史』(金村修との共著、平凡社)があるほか、ヴァル・ウィリアムズ著『Study of PHOTO 名作が生まれるとき』(ビー・エヌ・エヌ新社)日本版監修。東京造形大学、東京綜合写真専門学校、東京ビジュアルアーツ非常勤講師。


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