Interviewer:MACK
聞き手:MACK
Q.「The Flying Carpet」というタイトルはどこからつけられたのですか?
A. パートナーであり共同制作者のシルヴィア・ロッドとこの写真集のシークエンス(順序)について考え始めた時、当初は "The Magic Carpet" という言葉がタイトルとして浮かんでいました。実際にカーペットを写した写真や、本書のためにセレクトした写真のほとんどが、魔法にかけられて浮かび上がっているかのようなものだったのです。最初のシークエンスを見た時に、「Teatro delle Albe(イタリア・ラヴェンナの劇団)」所属の女優であり友人のエルマンノ・モンナタリがクリスティーナ・カンポの短編小説「Flying Carpet(Tappeti volanti)」を読むことを勧めてくれました。そしてこの小説のテキストと写真集の繋がりを見出し「The Flying Carpet」がこの写真集に対してより的確な言葉だと感じたのです。
Q. あなたは以前、作品制作においてルイジ・ギッリの重要性を語っていました。ギッリはどのようにあなたのものの見方へ影響を及ぼしたのでしょうか?
A. 大学在学中、ルイジ・ギッリの作品集「Niente di antico sotto il sole」を読みました。ギッリといえば、最近あなたたち(MACK)は彼のエッセイ集「The Complete Essays 1973-1986」を英語版で出版しましたね。そのエッセイ集の中にも掲載されている文章と同じものが私の読んだ作品集のなかにも掲載されているのですが、そのエッセイに強く衝撃を受けたのです。彼は、「カメラとは、偉大なものと些細なもの、空想と現実、大人になってから気付くことと幼少期のおとぎ話の世界、これらを同居させることができる魔法の道具であり、写真はこの考え方とまなざしが結集した大いなる冒険である」と説明していて、私はこの考え方に触れた時から今までずっと彼に共感しているのです。
Q. あなたが撮影するものや風景は、レンズを通して漫画のように擬人化され、人間の陽気さを表現しているように見えます。あなたの写真におけるアプローチの手法についてより詳しく教えてください。
A. 実を言うと、私は漫画の愛読者でたまに描いたりもしています。そこまで熱心な読者ではないですが、「Linus」「Cannibale」「Il Male」「Frigidaire」「Blue」(イタリアの漫画や政治的風刺本)などを読んでいます。思うに、ボンヴィッチーニやマグナス、パツィエンツァ、マッティオリといったボローニャやある種のカウンターカルチャーに繋がる作家は、少なからず私のものの見方の一部になっています。私の写真のアプローチ法ですが、漫画からの影響と同じように農学や都市計画についての研究、劇場での最近の仕事、アメリカのヴィジュアル・カルチャーについての興味、拠点でありほとんどの作品の撮影を行なったイタリアのロマーニャ地方やサルディーニャ島への郷土愛など様々な影響によるものです。そういった意味では、私には明確な写真の手法はないのかもしれません。私にとって写真を撮影することは、現実に接近するための道具以上のものなのです。
Q. 写真集におけるシークエンス(順序)について教えてください。なぜモノクロ写真を最後に配置したのでしょうか?これらは物語や場所の中にニュアンスの変化が生じたことを示しているのでしょうか?
A. カラーかモノクロかについては、私の作品のモノクロ写真を収めた「Sotto un cielo di Vinavil(Under a Vinavil World)」とカラー写真を収めた「Un mondo di carta(A World of Paper)」の2種類のアーカイブ・ボックスの存在以外に特別な意味の違いはありません。しかしながら、同じもの、同じ場所、同じ方法で、基本的にカラーとモノクロ両方の写真を撮影しています。以前はカラー・フィルムばかりで撮影していましたが、近頃はスタイルや論理的なアイデアからではなく、金銭的な理由や現実的な理由からモノクロで撮影することが多くなりました。モノクロなら自分で現像してプリントもできますから。なので、ご指摘の作品集のシークエンスは作品の骨格において自然な一部になっています。
Q. 本書は10年に渡って撮影された作品が収められています。この間に、あなたの写真的なアプローチは著しく変化したのでしょうか、それともまだ洗練の過程にあるのでしょうか?
A. 変化と言うより、洗練の過程の段階だと言えるでしょう。もしくは、少なくとも挑戦であるのかもしれません。先に述べたように、私には明確な写真の手法は無いと思っています。しかし、写真を通した現実へのアプローチと言うより、私の写真の手法は私自身がものを見てより良く理解する助けになっています。始まり(オファーを受ける)と終わり(納期に提出する)コミッションワークとして撮影に臨む場合は例外ではありますが。これまで可能な限り出掛けて写真を撮り、可能な限り思考しました。見つけたものや可能なものはなんでも写真に撮りました。傑作を作り出すのではなく、できる限りたくさんの写真を集めたという感じです。またこれらをアーカイブ化するのにも、膨大な時間を費やしました。十分な素材が集まったので、シルヴィアの助けを借りながらプロセスを再構築し、これらの写真に意味を、主に視覚的な意味を与える試みを行っています。
THE FLYING CARPET
作家|チェーザレ・ファッブリ(Cesare Fabbri)
仕様|ハードカバー
ページ|72ページ
サイズ|240 x 295 mm
出版社|MACK
発行年|2017年
purchase book
本記事は「MACK」のInstagram公式アカウントにおいて2016年1月に公開された複数記事を編集し、翻訳・転載しています。
Read the original article in English on Instagram pages of MACK, visit here.
聞き手:MACK
Q.「The Flying Carpet」というタイトルはどこからつけられたのですか?
A. パートナーであり共同制作者のシルヴィア・ロッドとこの写真集のシークエンス(順序)について考え始めた時、当初は "The Magic Carpet" という言葉がタイトルとして浮かんでいました。実際にカーペットを写した写真や、本書のためにセレクトした写真のほとんどが、魔法にかけられて浮かび上がっているかのようなものだったのです。最初のシークエンスを見た時に、「Teatro delle Albe(イタリア・ラヴェンナの劇団)」所属の女優であり友人のエルマンノ・モンナタリがクリスティーナ・カンポの短編小説「Flying Carpet(Tappeti volanti)」を読むことを勧めてくれました。そしてこの小説のテキストと写真集の繋がりを見出し「The Flying Carpet」がこの写真集に対してより的確な言葉だと感じたのです。
Q. あなたは以前、作品制作においてルイジ・ギッリの重要性を語っていました。ギッリはどのようにあなたのものの見方へ影響を及ぼしたのでしょうか?
A. 大学在学中、ルイジ・ギッリの作品集「Niente di antico sotto il sole」を読みました。ギッリといえば、最近あなたたち(MACK)は彼のエッセイ集「The Complete Essays 1973-1986」を英語版で出版しましたね。そのエッセイ集の中にも掲載されている文章と同じものが私の読んだ作品集のなかにも掲載されているのですが、そのエッセイに強く衝撃を受けたのです。彼は、「カメラとは、偉大なものと些細なもの、空想と現実、大人になってから気付くことと幼少期のおとぎ話の世界、これらを同居させることができる魔法の道具であり、写真はこの考え方とまなざしが結集した大いなる冒険である」と説明していて、私はこの考え方に触れた時から今までずっと彼に共感しているのです。
Q. あなたが撮影するものや風景は、レンズを通して漫画のように擬人化され、人間の陽気さを表現しているように見えます。あなたの写真におけるアプローチの手法についてより詳しく教えてください。
A. 実を言うと、私は漫画の愛読者でたまに描いたりもしています。そこまで熱心な読者ではないですが、「Linus」「Cannibale」「Il Male」「Frigidaire」「Blue」(イタリアの漫画や政治的風刺本)などを読んでいます。思うに、ボンヴィッチーニやマグナス、パツィエンツァ、マッティオリといったボローニャやある種のカウンターカルチャーに繋がる作家は、少なからず私のものの見方の一部になっています。私の写真のアプローチ法ですが、漫画からの影響と同じように農学や都市計画についての研究、劇場での最近の仕事、アメリカのヴィジュアル・カルチャーについての興味、拠点でありほとんどの作品の撮影を行なったイタリアのロマーニャ地方やサルディーニャ島への郷土愛など様々な影響によるものです。そういった意味では、私には明確な写真の手法はないのかもしれません。私にとって写真を撮影することは、現実に接近するための道具以上のものなのです。
Q. 写真集におけるシークエンス(順序)について教えてください。なぜモノクロ写真を最後に配置したのでしょうか?これらは物語や場所の中にニュアンスの変化が生じたことを示しているのでしょうか?
A. カラーかモノクロかについては、私の作品のモノクロ写真を収めた「Sotto un cielo di Vinavil(Under a Vinavil World)」とカラー写真を収めた「Un mondo di carta(A World of Paper)」の2種類のアーカイブ・ボックスの存在以外に特別な意味の違いはありません。しかしながら、同じもの、同じ場所、同じ方法で、基本的にカラーとモノクロ両方の写真を撮影しています。以前はカラー・フィルムばかりで撮影していましたが、近頃はスタイルや論理的なアイデアからではなく、金銭的な理由や現実的な理由からモノクロで撮影することが多くなりました。モノクロなら自分で現像してプリントもできますから。なので、ご指摘の作品集のシークエンスは作品の骨格において自然な一部になっています。
Q. 本書は10年に渡って撮影された作品が収められています。この間に、あなたの写真的なアプローチは著しく変化したのでしょうか、それともまだ洗練の過程にあるのでしょうか?
A. 変化と言うより、洗練の過程の段階だと言えるでしょう。もしくは、少なくとも挑戦であるのかもしれません。先に述べたように、私には明確な写真の手法は無いと思っています。しかし、写真を通した現実へのアプローチと言うより、私の写真の手法は私自身がものを見てより良く理解する助けになっています。始まり(オファーを受ける)と終わり(納期に提出する)コミッションワークとして撮影に臨む場合は例外ではありますが。これまで可能な限り出掛けて写真を撮り、可能な限り思考しました。見つけたものや可能なものはなんでも写真に撮りました。傑作を作り出すのではなく、できる限りたくさんの写真を集めたという感じです。またこれらをアーカイブ化するのにも、膨大な時間を費やしました。十分な素材が集まったので、シルヴィアの助けを借りながらプロセスを再構築し、これらの写真に意味を、主に視覚的な意味を与える試みを行っています。
THE FLYING CARPET
作家|チェーザレ・ファッブリ(Cesare Fabbri)
仕様|ハードカバー
ページ|72ページ
サイズ|240 x 295 mm
出版社|MACK
発行年|2017年
purchase book
本記事は「MACK」のInstagram公式アカウントにおいて2016年1月に公開された複数記事を編集し、翻訳・転載しています。
Read the original article in English on Instagram pages of MACK, visit here.