DEAR CLAY, by Stéphanie Baechler
スイス人アーティスト、ステファニー・ベヒラー(Stéphanie Baechler)の作品集。2013年から2019年にかけて作者が丹念に描き綴ったスケッチブックから抜粋した見開きページと、制作過程を記録した35mmフィルムの写真を時系列に沿って紹介した1冊。作者の作品制作の様子に直に触れられるので、構想から制作、輸送、インスタレーションに至るまで、作者の作品がどのようにして作り上げられていくのかが理解できる。また、最終的に展示されている状態ではなく、仕上げ途中の未完成で流動的な状態の作品を見ることができる。このイメージからなる記録の中には、ギャラリーで展示されている状態では分からない作品のアイデンティティを作り上げているものが何かを理解する一助となるヒントが隠されている。
「Sへ
最近私は最後にあなたのスタジオに行った時のことをずっと考えています。あの時、この10年間保管していた黒いスケッチブックをいくつも見せてくれましたね。私はドローイングが大好きですが、スケッチブックをとっておくのは苦手です。多分私自身がそうだから、あなたが丁寧に広げて見せてくれたスケッチブックのページに惹かれたのかもしれません。ページをめくるうちに、あなたにとってスケッチブックは過去、現在、未来を途切れることのない対話の中に配置して、互いに大きな影響を与え合うようにするための道具なのではないかと思いました。
時間というものを直線的な概念として考えると、あなたは曲がらずに真っすぐ進んでいく時間よりも、その紆余曲折に興味を持っているようでした。速記のような鉛筆書きのメモや、くねくねと曲がった粘土の形、絡まり合った糸あるいは誇張されたマネキンの体の曲線―これら全てが、あなたの小さなスタジオの中で存在を主張していた曲がりくねる線を指し示す、入り組んだ記号になっていました。
『ウィリアム・ホガースが「優美の線」にこだわっていたことは知っていますか?』と質問しながら、私はそのエッセイの挿絵にあったはずの挿絵の1つをスマホで検索して見せました。画面の光が薄暗い部屋の中であなたの顔を照らしていました。
『100%正しいかどうかは分からないけれど、ホガースのS字カーブは、黄金律と同様に、その当時の芸術、建築、自然における目に心地よい美的なバランスに対する説明、あるいはそれを作るための道具だったと思います。真っすぐな直線とは対照的に、曲線だらけのS字カーブは、見る人の視線を不思議と惹きつける視覚的なトリガーとして機能しました。他のものではなく特定の何かに目を引かれるのは、そこに様々な曲線でできた架空の線が存在するからだという考えは、ばかばかしいけれど美しいと私は常々思っていました。』
何年か前に私は、ホガースの『優美の線』に対するちょっとしたジョークとして、ボッティチェリの『ヴィーナスの誕生』をホガース風の線に分解してみようと思いました。こうしてできた線をパズルのピースのようにして、私はヴィーナスの身体を再構成しました。あなたは気に入ってくれるかもしれないので、こうしてできたマンガの登場人物みたいな絵をこの手紙に沿えて置きます(今思えば、どうして元ネタの通りに巨大なほたての殻の上にヴィーナスを立たせなかったのでしょうか…)その後、私は陰毛のような線のシリーズから読めない文字のフォントを作りました。ヴィーナスからフォントを作ることによって、イメージで文字を書き、言葉でドローイングをすることの間を常に揺れ動くことが可能になりました。水のようなテキスト、テキストのような水。
曲がりくねり、様々な角度で折れている小さな記号がいくつも描かれたページを指さして、私はあなたに『これはどんな種類のアルファベットですか?』と聞きました。あなたは『「複雑機構」です』と答えました。これは、時計の世界で時間の表示以外の時計の機能を指す言葉です。『これらは文字ではなく、複雑機構を作るのに使われる小さなばねです。』複雑機構という言葉が出て来たこと、この言葉の率直さに驚いた私は、他との関係性の中で複雑機構について考え始めました。物語の筋に関係ないディテールは複雑機構です。タコスにつけるホットソースも複雑機構だし、本につけるしおりも複雑機構です。
それで私は、何かの線についての本を一緒に作りませんかとあなたに聞きたいと思っていたのです。もちろん、いくつかの複雑機構を入れて。
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