OUTSKIRTS by Todd Hido
アメリカ人フォトグラファー、トッド・ハイド(Todd Hido)の作品集。作者の象徴とも言える作品であり、長らく絶版となっていた自身にとって2作目の作品集『
OUTSKIRTS』のリマスター版である。2019年に発売された『HOUSE HUNTING』の復刻版と同様に、出版社である「NAZRAELI PRESS」と作者が綿密に制作し、可能な限り忠実にオリジナルを再現した。より正確な色の表現、トーンや再度の微妙なニュアンスにより、印刷の品質は元のものよりも高いものとなっている。本作は、オリジナル版を手に入れられなかった図書館やコレクションにとって重要な資料となり、前作に続きアート界において作者の地位を確固たるものとしたと言えよう。
「写真を撮りたいと思ったら、誰かの家のドアを叩いて許可を得たりはしません」とトッド・ハイドは言う。私は助手席に陣取って、彼の撮影ドライブに付き合ったことがある。幹線道路から脇道に入り、いわゆる「風光明媚」と程遠いルートを行く。名もない道をドライブして、アメリカの「どこにでも」そして最も重要なことだが、「どの時代にも」ありそうな風景を選ぶので、そこがどこなのかはどうでもいい。ハイドは何かを探している。彼は「貪欲に」探し求めているという。「それが何かははっきりと言えないとしても」
一方、2001年に出版された「House Hunting」は、「歴史の中のある特定の瞬間のある特定のアメリカ」のポートレイトである。そこに写っているのは、経済的に抑圧された場所、恥ずかしい秘密を隠しきれていない暗くて空っぽの家、あるいは明かりが灯っているのに温かみを微塵も感じさせない家である。それと同時にこの作品は、アメリカ -具体的には第二次世界大戦後ならいつの時代のものでもおかしくないアメリカの郊外- のポートレイトである。そしてそこには、かつてアメリカンドリームを象徴していた白い木の柵から剥がれ零れ落ちた白いペンキの破片が生々しく描かれている。
ハイドの作品には、彼がオハイオ州ケントで過ごした70年代の青春が反響している。ケントは、ベトナム戦争に反対するデモの最中にオハイオ州防衛隊によって学生4名が射殺されたことで有名な町である。ハイドのイメージは、それを撮った写真家との関係性ではなく、ほぼ全ての鑑賞者につながりや共感を呼び起こす能力と共鳴している。これらの写真は控えめで、感情と歴史に満ち満ちているのに何も語ろうとはしない。
「私が夜に家の写真を撮るのは、その中にいる家族について想像を巡らせるからです」とハイドは教えてくれた。「そこで人々がどのようにして生活しているのか考えます。私にとって家の写真を撮ることは瞑想の1つの形です」このため「House Hunting」は、答えよりも問いかけに近い、答えのでない堂々巡りになっている。
これらの写真が存在するということは、写真家がこっそりと覗き見たはずだと思われるかもしれない。しかしハイドは、そのような秘密主義を否定している。暗闇で撮影する時でさえ、こそこそ身を隠すようなことはしないという。警察を呼ばれた時は、写真家と犯罪者の違いをはっきりと説明する。「公共の場で写真を撮ることは許されています」と彼は言う。「非常に多くの人々が、自分の家の周りは当然プライベートな空間だと思っていることは興味深い事実です」ハイドはこの偽りのプライバシーの感覚を強調し、増幅することで大きな仕組みにできた裂け目を露わにする。
「House Hunting」のサイズを43 x 35 cmにすることを出版者に提案されたハイドは戸惑ったという。「それが果たしていいのかどうか分かりませんでした。本が歪んでしまったり、本棚に突っ込まれたりしてほしくないと思いました」しかしこのサイズ感にしたことで、鑑賞者は自然とハイド自身が注意深く選び、編集した26点の写真にしっかりと向き合うことになった(写真集を作るときは必ずハイド自身がイメージの選択と編集を行っている)。
内容を意図的に縮小することで、ハイドは1つ1つの写真の意味と役割の決定的な重要性を示した。写真を本という“もの”として体験することは、感情面の体験を補強する。こうして「House Hunting」の相棒として、全く同じサイズ、形、ページ数の「Outskirts」が2002年に出版されることになった。
– Katya Tylevich(アート/フィクションライター),
Outskirts (2002)