PARADISE, PROTOTYPES & OTHER DECONSTRUCTIONS by Stief DeSmet
ベルギー人アーティスト、スティーフ・デシュメト(Stief DeSmet)の作品集。
1946年に刊行されたアメリカ人作家、カーソン・マッカラーズの作品『The Member of the Wedding』の中で、12歳の主人公フランキー・アダムスはため息を漏らしながらこう言った。「あの人達は、僕が今まで見た中で最も美しい2人だった。それでも、僕が見たいと思っている全てを見せてくれていないようだった。僕の頭は、その全てを十分に集約して取り込むことはできなかった。そして二人はいなくなった。僕の言っている意味がわかりますか?」作者は、フランキー少年が何を意味しているのか「理解」していた。本作の中で常に提示されていることは、その全体を理解するために、そこで見受けられるあまりに速くあまりに儚いものの断片を表現する、ということである。逆説的にではあるが、その「何か」は、我々がしばしば、最高に魅力的な人物の「非現実的な」美しさと呼ぶもの、あるいは雲が浮かぶカラフルな空やアートの傑作といった類のものと同一ではない。美的でない、という意味では、「リアルなものにしてはあまりに良すぎる」ものとして時として特徴付けられる出来事と関係があるわけでもない。その「何か」とは、明らかに現実に存在するものなのである。絶対的な現実、すなわち「ある動物」のことである。具体的に説明すると、野生で飼いならされていない動物が該当する。本作において、この現実は本質的に欠陥があるように見受けられる。それどころか我々はそのような不完全かつ苦しみにまみれた欠点ばかりの存在であるゆえに、他人に見られ体験されるにはあまりに儚すぎるのである。我々の頭脳はそんなに早く回転しない。それは事実であり、さらに言えば新しい瞬間がまばたきをするたびに始まり、それぞれがその前に存在していたものと正反対であるかもしれない。とりわけ、動物の形の中でそれ自身を明らかにすることを「現実」が選んでも、永遠に我々を避けてしまうであろう。「僕の言っている意味がわかりますか?」それはもはや存在していないのかもしれない。作者が『The Member of the Wedding』に伝えようとしていることは、その事実である。
-クリストフ・ヴェーケマンによる文章より抜粋