A JOURNEY: THE NEAR FUTURE by Nicolai Howalt
デンマーク人ヴィジュアルアーティスト、ニコライ・ホワルト(Nicolai Howalt)の作品集。本書では、地球からおよそ6,300万キロメートル離れた前人未到の星「赤い隣人」を描く。
技術の躍進や激しい気候変動が起きる現代において、火星は人類が宇宙へ進出するための足掛かり的な存在である。NASAの探査機「キュリオシティ(Curiosity / 好奇心)」、「パーサヴィアランス(Perseverance / 不屈)」、「スピリット(Spirit / 精神)」、「オポチュニティ(Opportunity / 機会)」によって撮影された火星の表面のパノラマ写真が本作の起点となっている。このデジタル画像は今までになく非常に精巧な風景として写されており、色鮮やかで解像度が高い画像であるが、逆説的に見ると、日頃見るイメージの解像度と同じであるが故に、我々が慣れ親しんだ現実からはあまりにもその情景がかけ離れていて、もはや近づくことのできない非現実的な風景であることを目の当たりにする。我々は、そんなイメージを血の通っていないロボットの目を通して見ているのである。
作者は、この地球外の風景に人が認識できる要素と人間味を加える方法として、撮影されたデジタルデータを写真のネガフィルムに変換し、暗室で白黒の銀塩写真として現像をした。光、化学、そして人の手を介してデジタル情報を物理的な写真として変換することで、科学的なデータの蓄積である画像として機能するだけでなく、実存的かつ歴史的な考察を目指した繊細な視点を画像に向けられるようになるのである。
火星は太陽系の惑星の中で地球との共通点が最も多く、数十億年前は今よりもさらに類似していた。地球の未来が最も重要視されるこの時代において火星は、今格別な関心を呼ぶ存在である。それは、宇宙の過去や生命の起源について教えてくれるだけでなく、我々の未来にまつわる知見と可能性をもたらすためであろう。
歴史的に白黒写真が写真家の存在と結びついてきていることを踏まえ、作者はこの手法を用いることで地球外の景色に人の気配を与え、まだ誰も訪れたことのないはずの場所であるにも関わらず、逆説的に親しみを感じさせている。このパノラマ写真は、ピクセル単位の情報から銀塩へと変えられていく中で、ロボットによる遠隔操作を経て視覚化された画像から、人の手と感性によって作られた写真へと変化していく。
本書には30の写真作品を収録。加えて天文学者、天文物理学者であり教鞭も執るアニャ・C・アンデルセン (Anja C. Andersen) 、物理学者であり「ニールス・ボーア研究所(Niels Bohr Institute)」准教授を務めるモルテン・ボー・マドセン (Morten Bo Madsen) 、数々の受賞を重ねているデンマーク人作家のハラルド・ヴォートマン (Harald Voetmann) による寄稿文も掲載、それぞれの立場からこの議論に上がる惑星の存在意義や科学的意義にスポットを当てて語られている。
本作は、デンマークの「Martin Asbæk Gallery」で2022年1月から2月に展覧された。