CA.RA.MA.RU by Ryudai Takano
日本人写真家、鷹野隆大の作品集。作者の初期作品シリーズ「カ・ラ・マ・ル」を収録している。
「写真の最も初期のジャンルの一つであるヌード写真は、1830年代後半にさかのぼる。しかし、その長い歴史にもかかわらず、時代とともにほとんど進化することなく、3つの中心的な信条に支配され続けている。それは、モノクロのドラマがより自然な色彩よりも好まれること、描かれるのは主に女性の身体であること、そして最後に、身体が男性であれ女性であれ、ヌード写真はほとんど常に男性の視線によって、男性のためのものであること。
鷹野隆大は、初期時代の作品群である『カ・ラ・マ・ル』で、よく踏まれ、しばしば狭すぎる道への一歩を踏み出した。3年間にわたって複数のセッション、またはカメラのためのパフォーマンスで撮影されたこのシリーズは、単純な前提から始まった。写真家が舞踏ダンサーのグループに『からまる』を体現するように呼びかけたのである。作者は、それ以上の指示はせず、この考え方に自分なりの方法を見出すことを任せた。日本語の『からまる』は、英語の『entanglement』と同じように、文字通りの意味から、感情移入の意味まで、複数の意味を持つ。しかし、高野は、『k』を『c』に置き換え、中黒で4つの音素に分割して再構成することで、言葉の速度を落とし、柔らかくし、同音の『からめる』のキャラメルのような滑らかな舌触りと甘みを持たせたのである。
美学的には、これらのイメージは、拡散する光と深い影に満ちたキアロスクーロ(コントラストの強調)という、ヌードの古典的な慣習に非常によく合致している。シリーズを通して出演者が揃うことで、さまざまな感情や感覚が表面化している。ある時は、体が歪み、痛みに悶え、筋肉が張り、手足が表裏一体となっている。また、あるときは、互いを優しさで包み込み、肌と肌同士が優しく触れ合うようでもある。パフォーマーの振り付けは、複雑で理解しがたいポーズもあれば、より自然な、人間の形をしたものに見えるものもある。ここでは、慣習にとらわれず、身体は男性と女性で、ある時は別々に、ある時は一緒に登場する。しかし、ここで最も印象的なのは、この男性性と女性性のバランスを意識させることよりも、むしろ両者を見分けること、あるいは両者の違いに気づくことが難しくなっていることであろう。鷹野が言うように、作者が求めたのは『社会に定着した通常の『男』と『女』像を超える身体の美しさ』である。
これらの写真は、約30年前、まだ自分の道を模索していた若い写真家が撮影したものである。今日、本シリーズの核となるマスキュリンとフェミニンという互いに排他的な概念から解放を求める声は、新しい世代のアイデンティティの探求の中心となっている。『カ・ラ・マ・ル』は、マスキュリンやフェミニンなものを超越し、私たちが互いに絡み合うだけでなく、世界そのものと絡み合う、新しい身体の神話を提案している。」
―フランス人キュレーター、作家、編集者のマーク・フューステル(Marc Feustel)の序文より抜粋
EVENT:
鷹野隆大×原田直宏 トークイベント
日程:2022年12月24日(土)
時間:14:00-16:00
開催場所:BOOK AND SONS 3F
詳細
※本イベントは終了いたしました