FALLING by Gabby Laurent
イギリスを拠点とするフォトグラファー、ギャビー・ローラン(Gabby Laurent)の作品集。―恩寵を失う(A fall from grace)、眠る(alling asleep)、妊娠する(falling pregnant)、歩調を合わせる(falling in line)、バラバラになる(falling apart)― 英語の動詞「fall」を使った表現は、喜劇的であると同時に悲劇的で、喪失感と意図的なあきらめに満ちた、我々の人生を通じて繰り返される行為を指している。死別と生命の誕生という個人的な状況を反映した作者が演じる「落下」のダンスは内省のための空間であり、その中で繰り返し重力に身を任せ、時間、運命、状況について熟考するための視覚的な空間を作り出している。
落下するとはどういうことだろうか。作者が引用する慣用的な表現は、一般的には女性らしくないとか無作法だとみなされる類の失敗、自制心や落ち着きの欠如などを示唆している。作者はフェミニストとパフォーマティブアートの視覚言語を用いて、自制の放棄と運命の受容を探求する。しかし、この作品をさらに深く読み解けば、そこに存在する矛盾する要素が見えてくる。もし落下が本質的に偶然の出来事だとすれば、その破壊的で意図的なパフォーマンスが捉えているのは、コントロールの喪失ではなくむしろ自発的に自己の行動を統制した瞬間だということになる。
なんとも危なっかしい、妊娠後期の作者本人がスターティングブロックからダッシュするシークエンスには目を奪われる。靴下が滑って階段から落ちるとか、自転車で勢いよく転ぶとか、どこにでもありそうなシーンもある。その他のより些細な瞬間は、完全に自由落下している作者を捉えている。写真独特のざらざらとした質感やぼかしの中で宙ぶらりんになった身体は、背景から解き放たれる。断続的な乱れたシークエンスの中で巻き戻され、繰り返され、あるいは互いに打ち消される様々な瞬間やジェスチャーは、日々の暮らしの中で押し寄せ、反応を引き出す多様な体験 &mdash エドワード・マイブリッジ(Eadweard Muybridge)の連続写真を思わせる、感情と心理状態の揺れ動く連なり-と私たち自身との関係性について考えさせる。見知らぬ人が通りで倒れるのを見たら思わずあっと息をのむものだが、どのジェスチャーもこれと同じ反応を引き出す。失敗をただコミカルに演じているだけでなく、最後には立ち上がり、埃を払って自分を取り戻すアーティストの姿には、挑戦的な態度が露わになっている。