CONVERSATION:Roe Ethridge(Photographer)x Fumi Ishino(Photographer)

対談 ロー・エスリッジ × ⽯野郁和
意図を超えたときに写るもの
Edit:Dan Abbe
Text:Yumiko Kobayashi
編集:ダン・アビー
構成:小林祐美子

今秋にMACKから初の写真集『ROWING A TETRAPOD』が刊⾏されたばかりの写真家・⽯野郁和。この写真集の刊⾏をあと押ししたのが、⽯野がイェール⼤学で師事していた写真家 ロー・エスリッジ(Roe Ethridge)だった。写真集の刊⾏を記念して、改めて⽯野が師であるロー・エスリッジにインタビューを敢⾏。写真へアプローチする姿勢、写真集を編集するプロセスについて、個々の作品の奥に潜むストーリーについて訊く。


⽯野郁和(以下“FI”)あなたのすべての作品を通して、写真の構造の脱構築と再構築を同時に試みている印象を受けました。ご⾃⾝でもそのように解釈していますか?

ロー・エスリッジ
(以下“RE”)⾃分ではそのように思いませんが、「何かを解体する」というのは学⽣時代に流⾏った考え⽅でした。私⾃⾝は、写真を撮ることで再構築するというより、何かを保つというほうが近いと思います。ばらばらに壊れたかけらを集めて元の形に戻すのではなく、イメージとの間に感覚的な関係性を持とうとしているのだと思います。



Roe Ethridge『SACRIFICE YOUR BODY』(MACK, 2014)

 

FI 芸術写真、商業写真、写真集、展覧会、編集、講義など実に多彩な活動をされていますが、このような多領域にまたがるアプローチはどのようにして⽣み出されたのでしょうか。

RE 最初は、理知的なアプローチで作品を作りたいと苦戦していた時期がありました。そのためにはテーマを決め、アイデアを出し、そのアイデアをイメージで説明することが必要だと考えていました。しかし、やればやるほど底が浅いと感じるようになりました。それからニューヨークに移って商業写真を始め、『New York Times』でいわゆる静物写真を撮っていましたが、決して得意ではありませんでした。そんなときに、ある美しいストーリーが撮れたのです。⼝紅の撮影なのにモデルの唇が荒れているという、考え得る限りほぼ最悪の状況でした。それがあまりにもあってはならないことだったので、かえって⾮常に⾯⽩かった。モデルがにっこり微笑んだ、なんとも不⾃然な写真を撮りましたが、これはビューティーフォトグラファーが最もしそうにないことです。



Roe Ethridge『LE LUXE』(MACK, 2012)

 

RE 後に、⾃分のスタジオでこの撮影のポラロイドを⾒たときのことを覚えています。スマートにやろうと懸命に取り組んでいた⾃分の作品たちの中で、⼥性誌『Allure』のビューティーコーナーのために撮影し、結局ボツになったこのポラロイドはほかとは⽐べようもないほど輝いていました。何か特別な⼒が働いてこのイメージが⽣まれたことは明らかで、そこには偶然があり、広告と商業の要素があり、⾃分とモデルの間に交わされた⽈くいい難い欲求があった。そうしたことのすべてがこのイメージの中にあると思えました。この写真は後に2000年の「Greater New York」展で展示(MoMA PS1)されることになりますが、当時は誰にも理解されず、⾃分でもこれが⼀体何を意味するのかわかっていませんでした。それでも、⾃分が興味を持っていることの全てがここに集約されていると感じていました。。

FI さまざまな世界と関わりをもつためには、技術的な知識を⾝に付けるほか、歴史や批評についても学ぶ必要があると思います。どのようにリサーチをされているのでしょうか。

RE “怒りにかられて”でしょうか(笑)。学⽣だった1990年頃は、アメリカ南部のそこら中にある写真ではなく、新しいものを⾒つけなければと必死になっていました。ウィリアム・エグルストンは⼤好きでしたが、コピーすることなどできない。同時にサリー・マンの世界があり、ジョン・マクウィリアムズもいた。だから私は、猛烈な勢いで何か別のものを探していたのです。そのとき、新しいものにインスパイアされたい、理解したいという思いに突き動かされていた私は、主観を排したドイツ写真に出会いました。



Roe Ethridge『SHELTER ISLAND』(MACK, 2016)

 

FI デュッセルドルフの写真家たちのことでしょうか。

RE そうです。カンディダ・ヘーファーの撮った建物の内部、アンドレアス・グルスキーのランドスケープ、そしてトーマス・ルフ、その系譜の写真家たちです。彼らの作品をむさぼるように⾒ました。勉強熱⼼だったわけではなく、ただ「何か」をどうしても⾒つける必要があったのです。

ピクトリアリズムを発⾒したときも同じように夢中になりました。ニューヨークに引っ越したばかりの頃に純粋美術と応⽤美術の問題に深い興味を持ち、アルフレッド・スティーグリッツやポール・アウターブリッジ・ジュニアがとった感情的なアプローチと、もっと形式的で商業的なクラレンス・ホワイト・スクールは、互いに裏返しの関係にあるのではないかと考えていました。当時、ピクトリアリズムは完全なタブーだったので、彼らの作品を⾒ると「この作品はすぐにイェール⼤学でこき下ろされるんだろうな!」とスリルのようなものを感じました。



石野郁和『ROWING A TETRAPOD』(MACK, 2017)

 

FI 以前、アクシデントを通じてイメージを作ることや、なぜアクシデントは意図よりも優れたものになりえるのかについて話されていました。あなたの作品には⾃分で撮影していないものもありますが、なぜそれが作品として成り⽴つのか、説明していただけますか。

RE アクシデントは⾃分の意図とは異なる意思決定を強います。『SHELTER ISLAND』での私の娘のポートレイトは、息⼦がiPhoneで撮ったものを娘が拡⼤し、スクリーンショットしたものです。⾃分でも娘を撮りましたが、結局いい写真は撮れなかったんです。その後もう⼀度息⼦が撮ったイメージを⾒たらとても惹きつけられて、すごいものを発⾒したときの編集者のような気持ちでした。最終的に私の写真集と展覧会に⼊ることになったとき、「⾃分で撮ったわけではないのに、許されることなのだろうか」と悩みましたが、あの展覧会で最も合作的な作品でした。息⼦が撮り、娘が拡⼤・クロップし、⾃分は印刷しただけです。



Roe Ethridge『SHELTER ISLAND』(MACK, 2016)

 

FI 『ROCKAWAY』(SteidlMACK)や『LE LUXE』(MACK)といった写真集は、写真を撮るという⾏為はプロセス全体の半分でしかなく、編集、シークエンス、レイアウトも写真家のアイデアを反映する⽅法であるということを教えてくれました。どのように編集やレイアウトをしているのか、とても興味があります。

RE その⽅法は展覧会のためなのか、それともストーリ―のためなのかによって変わってきます。次の展覧会が近づいているときには、何かを偶然発⾒して「こういう写真を撮るつもりではなかったのに」と気づかされることが多いです。

マイアミを訪れたとき、また戻ってきて⾃分の⼦どもの頃の家を真剣に撮り、そこにいる⼈々と話そうと考えていました。しかしニューヨークに戻って初めて、必要な写真はすべて撮り終えていたと気付いたのです。そのうちの⼀枚は、⼦どもの頃に住んでいた家の前で道を眺めているとき、⽬の前で⼦どもがウィーリーをした瞬間をiPhoneで撮ったものです。このシーンを再現することは可能ですが、この写真がとても⾃然でさりげないので、もう⼀度あの場所に戻って再現するより、その瞬間を保存する⽅がふさわしいと感じたのです。あの写真は私の想像を遥かに超えたものだったので、最終的に展覧会で⾒せることにしました。⾃分がやりたいことはある程度理解していますが、⾃分が⽬指しているのは、イメージを作るというより⾒つけることだと思います



Roe Ethridge『LE LUXE』(MACK, 2012)

 

FI 写真集制作のプロセスも年を経るごとに変化していったのでしょうか。

RE 何かが起きれば次に影響するものですから、アプローチも変わってきます。私にとって、いろんなことがどんどんシンプルになってきました。昔は写真集の制作は精神的に⼤きな負担で、疑いと⼤幅な変更というレイヤーをいくつも重ねるのが常でした。全部変えてからまたもとに戻すことがプロセスの重要な⼀部であると信じていましたが、いまは「結局最初のアイデアが⼀番いい」という確信が強まっています。作品作りの⼤部分が最初の瞬間に起きていたと気づくことが何度となくありました。あの荒れた唇の⼥性を撮ったポラロイドのように。だからいまは最初のアイデアを⼤切にしています




石野郁和『ROWING A TETRAPOD』(MACK, 2017)

 

FI 写真集を作るときはご⾃⾝のアイデアはもちろん、デザイナーやパブリッシャーと⼀緒に作っていくものでもあります。ほかの⼈とどのように協⼒されているのでしょうか

RE それはプロジェクトによって決まる部分が⼤きいです。プロジェクトにはチームワークという側⾯があり、何年も同じチームで仕事をしていると⾔葉の使い⽅や仕事の流れが出来上がっているので、基本的なことを確認し合う必要がない。それには⻑い時間がかかりましたが、いまはもう相⼿が次に何をやろうとしているかがわかるし、お互いに上⼿にボールをパスできるようになりました



Roe Ethridge『NEIGHBORS』(MACK, 2016)

 

FI 個々の作品についてお伺いしたいと思います。感謝祭(Thanksgiving)のように、アメリカ⽂化に根ざした写真も多く撮られていますが、季節の要素があると、⾒る側はそれにまつわる記憶や規範と関連付けやすくなる⼀⽅で、シークエンスになると、時間や場所の感覚が曖昧になる。あなたの作品は、⾃分の⼈⽣に起きた出来事の記録なのでしょうか、それともアメリカンドリームに対する批評なのでしょうか。

RE 両⽅かもしれませんが、そのふたつに限定されているわけではありません。ストックフォトや⼀般的なイメージには⾃分を惹きつけるものがありますが、それは私が、何もかもが平均的で中流だからではないかと思います。⼦どもの頃からメソジスト教会に通い、郊外で育った⽩⼈男性、これ以上ありきたりな⼈間もあまりいないと思います。他と差異がないものや、普通過ぎるほど普通なものの中に些細な問題や意外なつながりを⾒つけることも⾯⽩いと思っています。



Roe Ethridge『NEIGHBORS』(MACK, 2016)

 

FI 以前LAでお会いしたとき、チェーン店のコーヒーを飲みながらチキンサンドを美味しそうに召し上がっていましたね。バレンシアガをはじめとする超⼀流ブランドの写真を撮る⼈が庶⺠的なものを喜んで⾷べているという組み合わせが⾯⽩いと思いました。写真で芸術と⼤衆⽂化をミックスするように、ふたつの領域の境界線を意図的に曖昧にしようとしているのでしょうか。それとも何もかも区別せず、同等のものとしてとらえているのでしょうか。

RE それは⺠主的であることについてともいえるかもしれませんが、ふたつの世界が等しいわけではありません。バレンシアガは素晴らしいですが、⾞の側⾯に貼るマグネットステッカーだって格好いい。⾃分は⾞にフロリダ州のマグネットステッカーを貼ることも、バレンシアガの服を着ることもしませんが、どちらの良さもわかっています。そのどちらも、良くも悪くも、⾃分が⾃分⾃⾝をどう⾒ているかということと関わっています。いま、⻘⼭にあるヘルツォーク&ド・ムーロンが設計したプラダの店舗のことを思い浮かべています。(少しの間)…私はあの店中でフライドチキンを平気で⾷べることができますよ!



NEIGHBORS
作家|ロー・エスリッジ(Roe Ethridge)
仕様|ハードカバー
ページ|134ページ
サイズ|205 x 290 mm
出版社|MACK
発行年|2016年

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ROWING A TETRAPOD
作家| ⽯野郁和(Fumi Ishino)
仕様|ソフトカバー
ページ|176ページ
サイズ|230 x 285 mm

出版社|MACK
発行年|2017年

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ロー・エスリッジ(Roe Ethridge) 
1969年フロリダ州マイアミ⽣まれ。現在ニューヨークを拠点に活動。世界中の美術館や施設において作品を展⽰しており、MOMA/PS1(ニューヨーク/2000 年)をはじめとし、バービカンセンター(ロンドン/2001年)、カーネギー美術館(ペンシルバニア/2002年)、ボストン・コンテンポラリーアート美術館(マサチューセッツ/2005年)、ホイットニー・ビエンナーレ(ニューヨーク/2008年)、ニューヨーク近代美術館(MOMA, ニューヨーク/2010年)、アルル国際写真祭(アルル/2011年)と多岐にわたる。また、個展においては同じくボストン・コンテンポラリーアート美術館、 現代美術館ガレージ(モスクワ)、キュレーションをAnne Pontegnie が務めたル・コンソーシアム(ディジョン)での開催が挙げられる。また、2011年にはドイツ・ボーズ賞にノミネートされた。

⽯野郁和(Fumi Ishino)
1984年兵庫県⽣まれ。2012年ロチェスター⼯科⼤学BFA 取得後、2014年イェール⼤学MFA取得。 主な展⽰に、「Beyond 2020」(2017年/IMA Gallery)、「The Heart is a Lonely Hunter」(2015年/Fraenkel Gallery)、「Deep End」(2014年/Flag Art Foundation)。 主な受賞歴に「Japan Photo Award」(2015年)、「キヤノン写真新世紀 」佳作(2015年)、「Toby Devan Lewis」フェローシップ(2014年)。2017年9⽉にMACKより『ROWING A TETRAPOD』を刊⾏。


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