THE FLUXUS NEWSPAPER
前衛芸術運動「フルクサス」のメンバーにより発行された「フルクサス新聞(THE FLUXUS NEWSPAPER)」の全11号をまとめた一冊。「フルクサス新聞」は1964年1月から1979年3月までの間に発行され、「フルクサス編集評議会(Fluxus Editorial Council for Fluxus)」として知られる、アーティスト集団のメンバーが入れ替わりながら編集を担当した。最後の2号を除く全ての号が、「フルクサス」の創始者ジョージ・マチューナス(George Maciunas)によってデザインされた。
「フルクサス新聞」は、不定期に発行されたにもかかわらず、その活動におけるイベントや出版物、特にグループの有名なマルチプルや「フルックスキット(Fluxkits)」の宣伝に使用され、広告資料や注文書、価格表などが散りばめられていた。また、単なる宣伝や情報提供のための場に留まらず、60人以上のアーティストの作品や、新聞の見出し、広告、記事、コミック・ストリップが掲載され、グループの反芸術的な感覚や特徴的なユーモアが表現されている。
当初は、コンセプチュアル・アーティストのジョージ・ブレヒト(George Brecht)が1963年に開催された「ヤム・フェスティバル(Yam Festival)」の際に発表した単発の出版物『V TRE』にちなんで名付けられ、創刊号から2号の刊行は「cc」が使用された。これは、この新聞がブレヒトの原本の複製であることを示している。2号の発刊後、編集者たちは「V TRE」を含む他の様々なタイトルで遊び始め、「cc Valise e ThReE」、「Vacuum TRapEzoid」、「Vaseline sTREet」などといった号を制作した。
「フルクサス新聞」は、その活動に特有の創造的かつ「DIY」な姿勢を体現している。これは協力的であり学際的、そして反商業的であり、ユーモアがあり、誰にでもオープンなアプローチを指している。この定期刊行物はまた、アーティストによる新聞の初期の例でもあり、地下出版運動から発展し、60年代後半から70年代にかけて、アーティストたちが独自の作品を発表し、配布するための新しいメディアを模索し始めた時期に繁栄したのである。
収録アーティスト:
靉嘔、キャロル・ベルジェ、ヨーゼフ・ボイス、エレイン・ブロードウ、ジョージ・ブレヒト、クリスト、フィリップ・コーナー、ウォルター・デ・マリア、ウィレム・デ・ライダー、ベルン・エリスマン、ナイ・ファラバス[ビチ・フォーブスとして参加]、ロベール・フィリュウ、ヘンリー・フリント、ケン・フリードマン、 キャロリン・クルム、ハインツ・ガップマイヤー、オイゲン・ゴムリンガー、レイモンド・ヘインズ、ディック・ヒギンズ、ジェフリー・ヘンドリックス、ジョン・ヘンドリックス、アリス・ハッチンス、泉 龍、レイ・ジョンソン、ジョー・ジョーンズ、アラン・カプロー、ミラン・クニジャック、アリソン・ノウルズ、アーサー・ケプケ、 小杉武久、ルース・クラウス、フィリップ・クルム、リゲティ・ジェルジュ、ジョージ・マチューナス、アンガス・マクライズ、ジャクソン・マック・ロー、ラリー・ミラー、ピーター・ムーア、ハンス・ノルデンストレム、オノ・ヨーコ、ナム・ジュン・パイク、ベンジャミン・パターソン、ジェームズ・リドル、ディーター・ロス、 斉藤陽子、塩見允枝子、トーマス・シュミット、ダニエル・スポエリ、クリスター・ストレムホルム、刀根康尚、スタン・ヴァンダービーク、ベン・ヴォーティエ、ジャック・ヴィルグレ、ヴォルフ・フォステル、ヨシ・ワダ、ロバート・ワッツ、エメット・ウィリアムズ、ウィリアム・S.ウィルソン、ラ・モンテ・ヤング、マリアン・ザゼーラ